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第一章 四 中学でも「札付き」にされてしまった

四 中学でも「札付き」にされてしまった



なんとこの俺が私立の中学に進学


中学は私立の大森学園に進んだ。なぜ、公立ではなくて私立に進んだのかはよく覚えていないが、おそらく、北川の父と、勤務先である大野化学機械の大野巌との間で何か話し合いがあったんじゃないかと思う。大森学園は当時、大森工業高校(現・大森学園高校)と一貫教育だったから、高校卒業後には大野化学機械に就職させる約束でもあったのかもしれない。俺には北川の両親に反発する気持ちなど毛頭ないから、言われるままに進学を決めた。

私立の中学に進学したのは、学校でも一人か二人だったと思う。小学校の教師たちは「北川は私立に行くのか」と一様に驚いていたが、俺にとっても私立に行くというのは考えてもみないことだった。仲間たちはほとんど公立の中学に進学したし、俺も当然、一緒に行くと思っていたから、父親から「大森学園に行け」と言われたときには、何が何やらわからなかった。最初、大森学園と聞いたときには、「ひょっとして悪ガキがぶち込まれる特殊な学校か」などとも疑ってしまった。もし、そんなところに行かされたら、たまったもんじゃない。

「とうちゃん、それはどんなところだ?」

「中学校だよ、聞いたことないか?」

と言われたので安心したものだ。

中学に私立と公立があるということもそのときに知ったくらいだ。だから、俺も「金のかかる私立よりも公立で」という気持ちだったが、「あの悪ガキの北川が私立とは......」という、先生たちのびっくりした表情を見たとき、何か大きなイタズラをして大人たちの鼻を明かしたときのような不思議な快感があった。けっこう痛快で、それも私立に進学した理由だったのかもしれない。

私立と聞いてどんなところか楽しみにしていたら、校舎は大野化学機械の工場と大して変わらない、あまりにボロい校舎なのでビックリした。どこかの工場に間借りしていたらしいが、木造で、壁が薄い板で仕切られていた。入学して友だちができ始めた頃、じゃれ合っていた拍子に手をついたら、簡単にその板が破れてしまった。そのときは学校の用務員のおじさんが穴をふさいでくれたが、板がそんなに簡単に破れることを知ったものだから、「猫にまたたび」のようなもので、板壁を殴ってはあちこちに穴をあけていた。


中学生が大工の技術の腕を上げたって


穴あけはそのうちに学校でも問題になって、教頭先生から説教を食らって「自分で修理しなさい」ということになった。校舎が穴だらけになってすきま風が入ってきても寒いだけだから、少しは自重したが、「自分で直せばいい」という思いもあったから、前よりも安易な気持ちで、また穴をあける。月に一度は金づちと釘を手に穴をふさいでいたことを覚えている。

何回も大工仕事をしていると、不思議と上手になってくる。最初は単に穴をふさぐだけ。そのうちに少しでもきれいにふさごうという気持ちが働いてくる。さらに、穴の寸法を計り、板の大きさを合わせて釘を打ち込む。二年生も終わる頃になると、板の色は違っても、もとの状態と変わらないように修繕できるまで上達したものだ。教頭先生からは「お前は二年間で腕を上げたな」などと言われたが、中学二年生が大工仕事の腕を上げてどうする。そんなこと言われても、うれしくもなんともなかった。

そういえば、中学に入ってスポーツというものにも出会った。スポーツといっても大きな校庭があるわけでもないし、体育館があるわけでもない。もっぱら教室でやるものだから、卓球が多かった。これにも熱中した。大野化学機械の寮では大人たちに混じってやっていたから、中学では一番強かった。


やっぱり、ここでも問題の生徒になってしまった


中学二年生のときだと思うが、新校舎が完成した。新校舎というくらいだから、新築のきれいな校舎だと思ったら、借りていた校舎とあまり変わらなくてちょっとがっかりした。一階が高校、二階が中学という、今では考えられないような校舎だった。二階の俺たちの教室の床に節穴があいていて、そこから一階の高校生の教室がのぞけたものだから、俺は弁当を食っている高校生めがけてその穴からゴミを落としたりしていた。今から考えると、まったくくだらないことをしていたものだが、そのときは仲間と一緒に笑い転げていた。

俺はもちろんだけど、クラスの友だちもみんなめちゃくちゃな奴が多かった。誰かが、「二階のベランダから飛び降りても怪我しないぞ」とか馬鹿なこと言っていると思っていたら、本当に飛び降りちゃった奴がいた。不思議なことに、そいつは怪我をしなかったが......

中学と高校が同じ校舎だったから、当然、高校生と仲良くなることもある。とくにはみだし系の俺は、当然のことながら高校生に目をつけられたが、中学生の分際で自分から目立つようなことをするほどバカではない。高校生ともなると、下っ端はともかく、番を張るような奴はさすがに中学生に因縁をつけるようなことはなかった。それだけ子どもだと見られていたのかもしれない。

中学にも不良と呼ばれる奴はいたが、俺はそいつらとつるむことはなかった。腹が据わっていないというか、弱い奴ばかりを相手にしているというか、なんか物足りなかったから。壁に穴をあけるような俺だから、喧嘩を売ってくる奴もいて、そのたびに返り討ちにしていたら、何となく俺の周りには人が集まるようになった。俺は集団で歩くようなことは嫌いだったが、 を聞きつけて他の中学の不良から目をつけられることもあった。待ち伏せされて大森海岸で大乱闘をしたこともある。

そのうちにやっぱり中学でも「札付き」になってしまったようで、高校の先輩たちにも名を知られていたらしい。ただ、当時の不良というのは、今のように親の脛をかじって生活の不安のない中でグレるのとはわけが違う。日々の生活に追われている親たちが無理をして学校に通わせてくれていることを十分にわかっていたから、親にはいつも感謝していた。今のロクデナシとは、そこが違う。