覇道 昭和を駆け抜けた男 陣 汰朗
目 次
プロローグ 俺の浅草・俺の三社祭
第一章 嵐の前の静けさ、俺の「少年時代」
一 戦争突入前夜、そんな時代に生まれた
二 敗戦、すべてのことが変わってしまった
三 勝負は勝たねばならない、これが俺の一生の教訓
四 中学でも「札付き」にされてしまった
五 意外にも高校では皆勤賞
第二章 愚連隊エレジー
一 高校時代に出会ったスポーツ
二 愚連隊、結成.
三 蒲田東西戦争
四 大学受験と生みの親の存在
五 バイクとの出会い、そして初恋
六 蒲田の街を守るのは俺たち愚連隊
第三章 隅田川慕情
一 引っ越した先は浅草・吉原
二 義人党での生活
三 三田明のマネージャー時代
四 再び水商売の世界へ
五 〝親父〟と呼べる人との出会い
六 浅草、吉原、俺の街
七 さらば浅草
エピローグプロローグ 俺の浅草・俺の三社祭
三社祭だけは変わっちゃいけない
神輿が進んでいく。浅草神社の神輿だ。浅草神社の別名は三社権現。観音さまで有名な浅草寺と江戸時代までは一緒だったそうだ。明治の「神仏分離」とかで、むりやり別居させられたらしい。その浅草神社のお祭りが「三社祭」である。
「セイヤ! セイヤ! セイヤ! セイヤ......」
三社祭の担ぎ手たちはいつも威勢がいい。声が幾重にも重なり合って響いてくる感じはいいものだ。若い衆も、年寄りも一緒になって神輿を楽しむ。荒々しい息づかいが、こちらにも伝わってくるようだ。汗が飛び散っているのもいい。神輿は一定のリズムで上下に動いているように見える。まるで波間に漂っているように、たくさんの細かい動きが一つの大きなうねりとなっているようだ。少しずつ、少しずつ、前へ、前へと進んでいく。
神輿の担ぎ棒の上に立っているのは褌一丁の三人の男たちだ。三人が三人とも全身に刺青を入れている。「神様の魂」に乗っかるというのは罰当たりのような気もするが、奴らだって背中に観音様を背負っている。神様もきっと目こぼししてくれるに違いない。担ぎ手を鼓舞し、指示をする男たち。白半纏も黒半纏も、一緒になって浅草寺の境内を目指す。
「これだよ、これ。これが三社祭だよ」
三社祭は昔と比べると大きく変わった。観光化され、担ぎ手も余所者がたくさん入り込んでいるらしい。でも今日みたいに祭りのただ中にいると、そんなことはあまり感じられない。根っこのところは変わっていないからだろう。
三社祭だけは昔と変わらない。いや、変わってはいるのだろうけど、俺に昔の浅草を思い出させてくれる。いろんな事情があるのはわかるが、浅草らしさをなくしちゃいけないよ。
......そうだ、俺は確かに、ここにいたのだ。
ここで、いろんな出会いと別れがあった
今では生きる街を別の場所に見つけた。でも、かつて俺は確かにここで暮らしていた。
いろんな人と出会い、そして別れた。死に別れもあった。いいことばかりがあったわけではない。辛いことのほうが多かったような気もする。けれども、この浅草が俺を育ててくれた。
今は、ここに俺を知る奴はいない。俺が知っている奴らもいない。浅草に居場所がないのはわかっている。でも、背中に紋々を背負った男たちの荒々しさが、俺の中に浅草を蘇らせてくれる。だから、いてもたってもいられない。祭りになると、この場所に来てしまう。いや、戻ってきてしまうのかもしれない。
懐かしさとは違う。そんな神妙な気持ちがあれば、もっと違う人生を歩いてきたはずだ。でも俺は、この街で生きていた。青春なんていう甘っちょろいものじゃない。命のギリギリのところで必死になって生きてきた。そのころは気づかなかったけれど、今から振り返れば本当に夢中だった。
俺は一度も神輿を担いだことはない。半纏だって着たことはない。いつも少しばかりの心付けを渡すだけだった。しかし三社祭の男たちを見ていると、あの頃の感覚が戻ってくるような錯覚にとらわれる。不思議な気分だ。
あの頃と比べれば、今はまったく平穏なものだ。喧嘩もなければ、脅し合いもない。そのほうが幸せなのかと聞かれても、それは俺にはわからない。がむしゃらだったあの時代がなつかしいのだろう、きっと。三社祭に出かけるのは、あのときの自分を確かめたいからなのかもしれない。俺もちょっと歳をとってしまった。
「おとうさん」なんて呼ばれるのも、まあいいか
「雷門には行かないの?」
祭りの匂いを楽しんでいた俺に業を煮やしたのか、明花が話しかけてきた。
明花は雷門のほうを目指して歩いていくと思ったようだが、祭りのときに雷門に行くなんて、冗談じゃない。仲見世なんかは思いっきり込んでいるはずだ。身動きもとれないだろう。人に押されて、気がついたらはぐれていた、なんてことは当たり前。無事に境内までたどり着けるかどうかだって怪しいものだ。
「三社祭のときにあんなところへ行ったら、人に押しつぶされちゃうよ」
と言ったけど、明花はまだ不満そうだ。
そういえば、明花を三社祭に連れてきたのは初めてだった。間抜けな話だが、やっとそのことに気がついた。
明花は、俺が経営している芸能プロダクションの社長だ。まだ二〇代だが、タレントや俳優の卵といった若い者の扱いがうまい。持って生まれた人柄もあるのだろうが、腐らせず、やる気にさせる能力は、俺なんかをはるかに超えているだろう。
「こいつは芸能界の仕事にけっこう向いているな」と俺は思っている。
映画のプロデューサーや大物俳優にも受けがいい。これまで何人もの人間を社長にしては替えてきたが、明花を社長にして二年あまり。仕事も人間関係も、今のところ、すべてが順調にいっている。
仕事に関しては、明花が段取りをすべて終わらせ、俺が余裕で登場して最後をまとめるというのが最近のスタイルだ。この歳になって、やっとイライラして怒鳴ることもなくなった。何よりも精神衛生上、とてもよろしい。かっとなればストレスも溜まるし、心臓にだって、血圧にだってよくない。ぽっくり逝くのだけは御免こうむりたいが、明花がいればそんなこともないだろうと思っている。
俺のことも「おとうさん」と呼んで慕ってくれる。孫ほどの歳の女に「おとうさん」と呼ばれるのはちょっと照れくさい気もしないではないが、「あなた」と呼ばれる関係でもないからしょうがない。「おじいちゃん」なんて呼んだら即、クビにするところだが、明花はそこのあたりもちゃんとわきまえている。子どものいない俺にとって「おとうさん」と呼ばれるのも、最近では「悪くはないな」などと感じている。
「おい、こっちだよ、こっち」
と、明花を手招きした。怪訝な顔をしているが、あきらめもついたのか、俺のところまで歩い
てきた。
三社祭の老舗中の老舗......
国際通りにある浅草ビューホテルの前が「西浅三北」神輿の集合場所だ。毎年、俺が目指してくるのはこの西浅三北町会だ。知り合いがいるわけでもない。誰かに挨拶をするためでもない。ただ遠くから見るだけなのだが、他の町会にはない、俺にとっての懐かしさが、この西浅三北にはある。
「わぁ、すごい人」
と明花が驚くのも無理はない。この町会は総勢一五〇〇人を超える氏子が祭りに参加する、浅草でも一大勢力だ。その周りを、さらに多くの見物客が幾重にも取り囲んでいる。三社祭でもとりわけ見物客を集める町会だった。
それには訳がある。
西浅三北の神輿は別名「褌神輿」ともいわれる。
「観音を背負う江戸っ子三社祭」
どこで見たのか、誰が詠んだのかは覚えていないが、刺青も誇らしげに褌一つで神輿を鼓舞していく姿は、三社祭の原点ともいえるのではないかと思っている。ときには自ら神輿に乗って盛り上げる。これを「褌神輿」と形容したわけだ。その勇壮で、硬派な男たちの姿が観光客をひきつける。ヤクザとわかってはいても、たくさんの人がそばに寄って見物したがる。祭りでしかありえないような光景だ。
彼らは言わずと知れた地元のヤクザたち。浅草では「丸金」で通る高橋組の連中だ。正しくは浅草高橋組というが、丸に金を染め抜いた祭り半纏を着ているからすぐにわかる。昭和二〇年代から祭りに参加していたという話で、俺が浅草にやってきたずいぶん前から地元の祭りを引っ張っていたらしい。
今でこそヤクザなどと嫌われ者の代名詞のようにいわれるが、地元の人たちと同じ氏子として共存してきたのだから、それはそれで価値のあることだと俺は思っている。今では、警察も正確に数がつかめないほど彼らが三社祭に入り込んでいるらしいが、高橋組はその中でも老舗中の老舗といったところだろう。
袴にカンカン帽のお洒落な幹部たち
昔、俺が吉原で店をやっていたとき、高橋組の連中もしょっちゅう酒を飲みに来ていた。
奴らは昔気質の任俠が多く、理不尽なことさえしなければ暴れることなんてない。気のいい連中だったのを覚えている。
そいつらときたら、三月が過ぎる頃になると、人が変わったようにそわそわし始める。祭りが近づくと、若い衆がどこか浮ついたような感じになってくる姿が可愛らしかった。褌一丁で神輿を指揮するのは幹部連中だが、若い奴らはみんなその姿に憧れていた。三社祭の神輿が担ぎたくて高橋組の若衆になった、という奴もいたほどだ。
「あっ、袴にカンカン帽なんて、洒落てるわね」
と明花がつぶやいた。
「こいつ、いいところに目をつけたな」
彼らはこの町会の役員。商店会の旦那衆の代表と高橋組の代表だ。平袴にカンカン帽が役員のトレードマークで、町会の神輿はすべて彼らの指示で動いていく。彼らは集合場所を出発した神輿が浅草神社の境内に宮入りするときに、神主とともに迎えるという役目を担っている。
堅気とヤクザの氏子が一緒になって神輿を担ぐのだから、三社祭、浅草というのはおもしろい。白半纏と黒半纏が左右に分かれて、規律正しく、揉め事もなく神輿を移動していくには、ある程度強引にでもまとめていく者が必要なのかもしれない。
「ヤクザが祭りを仕切っているのはけしからん」などと訳知り顔に言う人がいるが、彼らがいるから秩序が守られているという面もある。
これが堅気の衆だけが仕切るようになったら、うまい汁を求めて、どんどん外のヤクザがやってくるだろう。それこそ三社祭が食い物にされてしまうことだって十分に考えられる。道理を知らない奴らが勝手気ままに振る舞うことになるかもしれない。俺は、そのほうがよっぽど怖い気がする。
最近では、ヤクザがどうの、神輿に乗るのがどうのと、いろいろ外野がうるさいようだが、もっと大目に見るくらいの懐の深さがあってもいいはずだ。
事実、神輿に乗った奴が逮捕されたそうだが、容疑が「神輿に乗って担ぎ手をって混乱を誘発した都迷惑防止条例違反」というから笑ってしまう。祭りっていうのはさ、 り、 られて、盛り上がっていくもんなんだよ。参加している人間の気持ちがだんだんと高まってくれば、ちょっとくらい羽目を外してもいいってことさ。羽目を外す奴も出てくるかもしれない。そういうときは、それをみんなでたしなめてやればいい。それがお祭り騒ぎというものじゃないのかい。
警察も警察さ。最近の警察は何もわかっちゃいない。いったいどこを向いているのか。昔の警察は、堅気もヤクザも警察も、みんながうまくやっていく方法というのを知っていたはずだ。「持ちつ持たれつ」ってやつだが、それを今は「癒着」というらしい。「持ちつ持たれつ」は堅気もヤクザも警察もみんながうまくいく「三方良し」だが、「癒着」は誰かと誰かが金をけるというものだ。まったく意味が違う。
「持ちつ持たれつ」で、みんながなんとなく幸せを感じながら、認め合いながら暮らしていくんだよ。それが浅草のいいところ、俺がいちばん好きなところだった。法律だ、制度だ、なんて言っていたら、居心地が悪くなるに決まっている。祭りにあっては堅気もヤクザもない。一緒に楽しめばいい。
俺は神輿を担いだことがなかった
俺にも祭りに参加したい気持ちはあった。高橋組にはたくさんの知り合いがいたし、町会に寄付だってしていたから、頼めば神輿を担ぐくらい、そんなに難しいことじゃなかったかもしれない。ただ、俺は義人党との関係があったから、丸金の半纏を着ることはできなかっただろう。今で言えば、山口組の代紋を背負っている者が他の団体のバッジをつけるようなものだ。だから高橋組に頼むようなことはしたくなかった。
もう一つは地元町会の堅気衆に頼むという手もあったが、それも俺にはできなかった。堅気衆は俺の店のお客さんには違いなかったが、だからといって頼み事ができるはずもない。借りを作ってしまっては、商売に差し支えるということもある。厄介といえば厄介だし、もっと素直になればいいとは思うけど、それができないのが男というものなのだ。
俺が神輿を担がなかった理由はもう一つある。
頭が固いというか、古いというか。余所者が祭りに参加しちゃいけない、という思いが俺にはあった。祭りは何百年もの間、その土地に伝えられているものだ。格式というものもある。そこに、余所から流れてきた者が入り込んじゃいけない。土地に根ざし、そこで生きていく覚悟のある者でなければ祭りに加わることはできない。俺はそう思っている。高橋組の衆だって地元の奴は少ないだろう。でも奴らは、親分から盃をもらい、浅草という土地で生きていく覚悟ができている。
そこまで気にすることはないという人もいるかもしれない。現実に、長い歴史がある三社祭でも担ぎ手が少なくなったという理由から外の人間に頼るようになったのだから......。今の若い奴らは、そんなことはこれっぽっちも気にしないだろうが、とにかく俺にはできなかった。
三社祭は浅草の人間にとって特別なものだ。俺が住んでいた頃は、とくに地元の人たちの祭りに ける気持ちは、今では想像ができないほどに強かった。俺はそれを強烈に感じていた。だから、三社祭に憧れはあったが、根無し草の俺が踏み込んではいけないと思っていたのだ。
土地にはそれぞれの考え方やしきたりがある。その土地で生まれ育った者は、小さい頃からそれを叩き込まれる。親はもちろんだが、親戚、近所のおっちゃん、おばちゃんたちも一緒になって教えてくれる。そういう人たちが一年に一度、辛いことも苦しいことも忘れて祭りを楽しむ。そこに半端な余所者が入り込んじゃいけない。守らなければならないことは、絶対に受け継いでいかなければならない。そうでなければ、本当の良さはだんだんと失われていく。その片棒を担ぐわけにはいかない。
俺は若い頃、蒲田で暴れていた。愚連隊と呼ばれて、仲間たちと我が物顔で蒲田の街を歩いていた。ヤクザを相手に喧嘩を売ったこともある。売られた喧嘩を買ったどころか、逆に相手をグチャグチャにしたこともある。そんなこともあって、蒲田にいられなくなってしまった。そしてやってきたのが浅草だった。浅草は俺を温かく迎えてくれた。俺にとって浅草は大事な場所だ。だからこそ、祭りに参加することはできなかったんだ。
浅草を離れて、もう二〇年以上が過ぎた。雷門のあたりを歩いている者の中には、もう生っ粋の江戸っ子はほとんどいないだろう。いつも観光客であふれ返っている。どこの国かわからない言葉が飛び交っているのも、奇妙な感じだ。老舗は小洒落たビルに変わり、川の向こう側には、ちょんまげだか何だかわからないものが屋上に載っている。
街も人も変わってしまうのは当然だ。俺が浅草に来ても、もう声をかけてくる奴なんていやしない。気のいい饅頭屋の親父も、下手な唄を歌っていた草履屋のおっさんもいない。博打で負けたといっては母ちゃんの顔色を窺っていた牛鍋屋の店主も、今はこの世にいないだろう。
もう浅草の人間でないことは重々承知だ。でも、俺の根っこの一つは浅草にある。そう思っている。だから五月に三社祭が始まると、自然と足が向いてしまう。神輿を担いだことはない。浅草で暮らしていた当時だって、毎年神輿の様子を見ているだけだった。
悔しさではない。懐かしさでもない。祭りだけが、俺が浅草にいたことを思い出させてくれる。俺は三社祭が好きだ。浅草に生きる人たちが好きだった。それが、俺が今、生きている土台となっている。ここに来れば、それを自分の中で思い出すことができる......。
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