2017年07月21日(金曜日)
ようこそ、ゲストさん。有料記事を見るにはログインが必要です。
 
 
ログイン情報を記憶

記者・ボランティアスタッフ募集中

タジカラオの独り言 第三回 「拉致問題を演劇に」 演出家・映画監督 野伏 翔

タジカラオの独り言 第三回 「拉致問題を演劇に」 演出家・映画監督 野伏 翔

 私が新聞というものをあまり信用できなくなったのは、高校生の時からである。わたしの通う高校は目白にあり通学には赤羽線を使っていたが、1960年代末期、この赤羽線の十条から池袋、赤羽駅構内にかけては、肩で風切る不良高校生の一軍が我が物顔に闊歩していた。ご存知,チョウコウこと朝鮮高校である。だぼだぼのズボンにハイカラ―の学ラン。襟に白い三菱マークを付けた十数人の集団が理由なく日本の高校生を襲う。朝から駅のベンチでワンカップ大関を呷っている奴もいる。大人しく座っている日本の高校生の膝に足を乗せ、靴を磨けと命じ、逆らうと袋叩きにする。酷い場合は各駅ごとに引きずり出されぼろぼろにされ、家族ごと引っ越した者もいると聞いた。私も他校の有志と共に多少の抵抗を試みたが、相手はどういう連絡網があるのか、今と違って携帯電話もないのに集まるのが早い。出生届が遅れたのか、どう見ても二十歳くらいの年上の者も混じっている。そのうちに顔を覚えられ、遠目からでも私を発見すると、連中がダッシュして追ってくるようになってしまい、悔しいが赤羽線は避け、田端回りで遠回りに帰ったりしていた。

 そんなある日、国士舘の大学生たちがこの連中を懲らしめてくれたと聞き、溜飲が下がった。だが、その後の新聞を見て愕然とした。「善良な朝鮮高校の生徒たちが、日本の暴力学生にひどい差別と迫害を受けている!」と言う記事が一面に写真付きで、でかでかと出ていたのだ。これには開いた口がふさがらなかった。取材するまでもなく当時の朝高生の殆どは、誰がどう見ても明らかな暴力集団だったからだ。ここまであからさまに黒を白と言い換えることができる新聞というものに驚き、憤りを感じた。その新聞は勿論、朝日である。当時我が家は朝日新聞をとっていたのだ。だからその後の南京虐殺や従軍慰安婦の新聞記事が全てねつ造であるということに、わたしは何の不思議も感じない。

※記事の続きは有料会員制サービスとなります。

会員の方でコンテンツが表示されない場合は会費のお支払いが完了していないか、有効期限をご確認ください。