gosei「天皇御製に学ぶ」

天皇御製に学ぶ第七回 昭和天皇の平和御祈念の御歌

天皇御製に学ぶ第七回

昭和天皇の平和御祈念の御歌

四宮正貴


社頭雪(昭和八年)

ふる雪にこころきよめて安らけき世こみそいのれ神のひろまへ

 

朝海(昭和八年)

天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

 

神苑朝(昭和十三年)

静かなるかみのみそのの朝ぼらけ世のありさまもかかれとぞおもふ

 

迎年祈世(昭和十五年)

西ひがしむつみかはして栄ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに

 

風雲急を告げてゐた昭和初頭における、先帝・昭和天皇陛下の平和を祈念される御製である。昭和天皇は、日本國の祭り主として、天地の神々に、常に、國民の幸福・五穀の豊穣・世界の平和を祈念され続けて来られた。一首一首に平和を切に願はれる昭和天皇の大御心がこめられてゐて、拝誦すると実に以て胸迫るものがある。有難き限りである。

 「ふる雪にこころきよめて」の御製は、神聖なる宮中三殿に於いて祭祀を行はせられた時の御製であると拝する。しかもその日は雪が降ってゐた。その清浄なる神域に於いて、陛下御自身も心を清められ、まさに神の如き御心境で世の平和を神々に祈られたのである。

「静かなるかみのみそのの朝ぼらけ」の御製も、宮中三殿において祭祀を行はせられた時の、切に平和を祈られるご感懐を歌はれたと拝する。

この二首ほど清浄にして神々しい「やまと歌」は、比類がない。上御一人でなければ詠むことが出来ない。神ながらの御歌である。

「天地の神にぞいのる」の御製もまた、ただひたすらに平和を祈られる昭和天皇の御心を神ながらに表白されてゐる。

「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風はたちさわぐらむ」(明治三十七年)に詠ませられた明治天皇の大御心を継承されてゐると拝し奉る。

昭和天皇は、昭和十六年年九月六日、日米開戦直前の御前会議において、明治天皇の「四方の海」の御製を二回詠みあげられ、平和交渉に全力を挙げるようにお諭しになったと承る。

国民の幸福と平和を願はれる祈りは、明治天皇、昭和天皇、そして歴代天皇によって継承されてゐるのである。

 「西ひがしむつみかはして」の御製が詠まれた昭和十五年の前年は、ドイツはポーランドを占領し、英仏はドイツに宣戦を布告し、第二次欧州大戦が始まった年である。昭和天皇におかせられては、世界各国が睦を交はして、平和を維持し、栄えて行ってほしいは願はれたのである。有難き限りである。

亀井静香氏は、『月刊日本』本年十月号において、「昭和天皇は明治憲法下において、日本國と日本國民を救うことができるお立場でありながら、そうされなかった。大東亜戦争が始まる時、昭和天皇は日本が破滅的な状況へ向かうのをお止めにならなかった。また戦争が終わる時、昭和天皇は広島長崎への原爆投下とソ連参戦までご聖断を下されなかった。もっともっと悲惨な状況になる前に降伏することができたのではないか。そして戦いに敗れた後、勝者による戦争責任の追及が進む流れの中で、東京裁判に東条英機以下七人の首を差し出された。…こういう一連の問題について、今上陛下はご自身の経験がおありになるから、やはり天皇たるものはそういうことをやってはならぬ、という忸怩たる想いがおありになったのではないか」と語った。

空いた口がふさがらない。まことに許し難い発言である。開戦前のアメリカによるわが國への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに眞綿で首を絞めることをして来たのである。

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京國民政府及び満州國の否認、日独伊三國同盟の死文化を求める米國務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」についてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王國やルクセンブルグ大公國でさえも合衆國に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

わが國は、まさに『開戦の詔勅』に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

佐藤優氏は、

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