2017年07月22日(土曜日)
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「世界史から紐解く日本」13の徳と4つの報徳―信頼を大事にした二人の偉人 佐波優子

「世界史から紐解く日本」

13の徳と4つの報徳―信頼を大事にした二人の偉人

佐波優子

勤勉という言葉を聞くとき、あなたが思い浮かべる歴史上の人物は誰だろうか。私が真っ先に思い浮かべるのは二人の人物だ。一人は二宮金次郎の銅像で有名な二宮尊徳。尊徳の4つの教えは「報徳思想」と呼ばれ今でも受け継がれている。もう一人はアメリカの100ドル札の肖像にもなっている、ベンジャミン・フランクリンだ。フランクリンは「13の徳」で人が社会でどうあるべきかを説いた。そんな二人が教えた「徳」に迫りたい。

 フランクリンの13の徳

フランクリンは、まだアメリカが独立する70年前の1706年にボストンで生まれた。父は蝋燭製造をしていた。

 12歳のころから印刷所で年季奉公行い、15歳でアメリカに渡った。身一つで外国に行き、様々な職を経て最終的にアメリカ建国の父とまで言われるようになった。そこまでの過程には、フランクリンの仕事に臨む姿勢と彼自身の哲学が大いに反映されている。

 フランクリンが21歳のころである。フィラデルフィアの印刷所で働いていたフランクリンは、信頼を第一に置く振る舞いをした。着るものは質素なものにし、遊ぶ場には絶対に顔を出さず、釣りにも狩りにも出かけなかったという。それは、商人としての信用を保ち、評判を失わないようにするためだ。さらに自分がきちんと商売をしているところを町の人に見せるために、印刷に使う紙を手押し車に積んで道を歩いていたという。そうするうちに、フランクリンの信頼は高まっていった。町の名士たちも「あのフランクリンのように働く者は、私はついぞ見たことがない何しろ私がクラブから帰るときになってもまだ仕事をやめないし、朝はまた朝で近所の人が起きない中に、もう働いていているのだからね」と彼を褒めた。

 フランクリンは自伝の中でこう書き残している。

 私がかように自分の勤勉ぶりを事こまかに、また無遠慮に述べ立てるのは、自慢話をしているように聞こえもしようが、そうではなくて、私の子孫でこれを読む者に、この物語全体を通して勤勉の徳がどのように私に幸いしたかを見て、この徳の効用を悟ってもらいたいからである、と。

 では、その徳とはどんなものなのか。それが13の徳だ。フランクリンが22歳くらいのときに思い立って作ったものだ。数は13。それぞれ紹介していこう。

1つ目は「規制」だ。苦しいほど食べたり酔うまで飲むことをするなと言っている。

2つ目は「沈黙」。余計なことを言ったり、自分や他人の利益にならないことをいうなということである。

3つ目の「規律」ではいろいろきちんと決めることを教えている。物の置き位置を決めたり、仕事の時間を定めることだ。

4つ目は「決断」。やるべきことを決心したら、必ず実行するように勧めている。

5つ目の「節約」は、

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