2017年10月22日(日曜日)
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書評 靖国の宴 荒木和博著 高木書房 評論家 三浦小太郎

 

yasukuninoutage 百田尚樹のベストセラー「永遠の0」には、戦争で片腕を失い、戦後も苦しい人生を歩んだある老兵士が小説の冒頭部で登場するが、彼の言葉は、この小説全体の中でも最も深い感動を呼ぶもののひとつである。彼は、戦争は最悪のものだが、だれにも戦争をなくすことは出来ないと断言した上でこう語る。

「いいか、戦場は戦うところだ。逃げるところじゃない。あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない。戦場に出れば、目の前の敵を撃つ、それは兵士の務めだ。和平や停戦は政治家の仕事だ。違うか。」

 この言葉には、少なくとも戦争の現場に参加したものとして、いや戦争のみならず、あらゆる職場で現実の業務をこなしている人々の思いを代弁するものとして、どんな左右のイデオロギーにもびくともしない強さがある。そして、荒木和博氏の小説「靖国の宴」には、日本、韓国、北朝鮮、そしてアメリカの兵士たちの霊が登場してくるが、その全員が、兵士として命令に従い、国を守ろうとした点において共通している。荒木氏は彼らがこうして語り合える理由を、作中で的確に説明している。

「ここに来ている連中は皆戦って死んだ奴らばかりだ。それも自分のためではない、自分の祖国のため、他の誰かを守るためだ。素晴らしいことじゃないか。だからこそ、お互いに殺し合いをした人間同士がこうやって意気投合できるんだ。(中略)自分のために殺し合いをしていたら恨みしか残らないだろう。」

 大東亜戦争中日本兵として特攻隊に散った日本人と韓国人兵士、そして、親北派政権の先制攻撃を禁じた指令によって命を失った現代の韓国海軍兵士、そして彼らの捨て身の突撃によって撃沈された北朝鮮軍兵士、日本人拉致と潜入工作を繰り返し、最後に海上で自決した北朝鮮工作員。現実の世界においては敵と味方という存在でしかありえなかった人々が集える場所として、著者はあえて靖国を選んだ。

 彼らすべての共通点を、著者は副題の「戦って散った者たち」と簡潔に表現した。しかし、彼らにはもう一つ深い共通性がある。彼らは「国」のためだけに戦ったのではなく、いわんや、彼らの多くを実は見捨てた「政治権力」のために戦ったのでは決してない。彼らは、彼らなりに守れなければならない人を守るために、そして自分自身の、小さくても確かな正義を守るために行動し、そしてそのことを静かな誇りに抱いて散っていったのである。

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