2018年07月16日(月曜日)
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なるほど納得政経塾㉕ 続「企業の社会的責任について」 神奈川大学経済学部教授 経済学博士 小山和伸

 前回は、M.フリードマンの「企業の社会的責任不要論」について検討してきた。今回はK.アローの「社会的責任必要論」を説明したい。フリードマンは、企業が利潤動機を持つ限り社会に受け入れられようとするため、自然とより良いものを安く提供する活動に専念するはずだという考えに基づいて、企業は利潤追求だけを考えていれば良いと結論した。
  
 しかしながら、K.アローは以下の4点に基づき、企業は積極的に社会的責任や経営倫理を意識すべきであると主張する。
第一には、個人ないし個別企業がそれぞれ社会倫理を意識した方が、社会全体としての経済効率が高くなるという指摘である。


もし、個人や個別企業がそれぞれ利己的な利潤動機に基づいて行動すると、他人や他企業を騙したり出し抜いたりして利益を上げようとするかも知れない。それを防ぐために互いに監視し合うようになれば、社会全体としての監視コストが高くなり、経済効率が阻害される。
フリードマンは、そんなずるいことをする企業は結局衰退するから、利潤動機はずるい行動には繋がらないと主張する。しかし、専門知識を要するビジネスではその知識に乏しい消費者は、何がずるい行動なのか分からないし、また結局ずるい企業はいつか衰退するにしても、少なくとも短期的にはずるい企業が跋扈する社会が生まれ、また入れ替わり立ち替わり問題企業が現れて、常に社会的経済効率を苛み続けるかも知れない。
 
 第二には、現代の市場は完全競争的ではなく、少数の大規模企業が市場を支配する寡占市場である。不公正な企業活動をする大企業は簡単には排除されず、しかもその弊害は大きく、社会に重大な悪影響を及ぼす。故に、私企業といえども社会的責任を強く意識すべきであると主張する。
さらに、もし個別企業間に競争が維持された場合でも、過度な競争が環境汚染やコストダウンのための低賃金労働を強いるような、社会的問題を引き起こす可能性がある。だから、自由な競争さえ維持されていれば個別企業は利潤のみを意識していれば良いというわけではない。
 
 最後に、企業活動における情報の偏在の問題が提起される。企業が提供する商品(財やサービス)に関しては、消費者よりも生産者である企業の方が遙かに詳しいのが普通である。この点は、既に第一の論点でも触れたが、要するに専門知識が企業側に大きく偏って存在するという問題を意味している。
例えば、薬品の特徴や副作用などのマイナス面について、製薬会社は消費者よりも遙かに詳しい知識を持っている。アローは、この専門知識の占有の故に、企業側に高度の倫理観がなければならないはずだと指摘する。
 
 たとえどんなに正直に薬品の成分を表示しようとも、その意味を薬学の知識を持たない一般の消費者は殆ど理解することが出来ない。故に、専門知識を持つ製薬会社の側が、高い倫理観を以て薬を製造し、また販売する義務を負わなければならないと主張する訳である。問題のある薬を販売すれば、そういう会社はいずれ衰退するとしても、大企業による薬害が以下に重大な社会問題を引き起こすかについては、既に様々の事例が示しているとおりである。
 
 こうした主張は、古典派理論における「長期均衡論」に対峙する、ケインズ学派の「短期不均衡論」であると言って良い。長期的には問題企業はいつか淘汰されるとしても、そのいつかが実現するまでに、一体何万人が被害に遭わなければならないのかという論旨である。