2018年07月16日(月曜日)
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日本への回帰 桜を愛でる日本人のこころ 2   展転社編集長 荒岩宏奨

日本への回帰
桜を愛でる日本人のこころ 2
 
展転社編集長 荒岩宏奨

 
 平安時代以前の感性を継承
 
 奈良時代までの日本人は桜の花を実用的に捉えていた。占いとして使っていたのである。
 平安時代になると、日本人は花を観賞するようになった。それは、支那の漢詩から学んだのである。支那での花見とは桜を観賞することではなく、梅の花を観賞することであった。『万葉集』には、梅の花を観賞した歌が載っているので、花の鑑賞が日本に渡来した奈良時代には、一部の先駆的日本人は支那人と同じように梅の花を観賞していたということがわかる。
 
 奈良時代の多くの日本人にとって、桜は占いのための花であった。桜の花が早く散るということは、良くないことが起こる前触れとして考えていた。なので、悪いことが起こらないように、桜の花よ早く散らないでくれと願った。それが、だんだんと花が散らないように努力するようになり、その努力をしたことによって、花が散ることを惜しむという心情が芽生えた。平安時代以降、多くの日本人が花を観賞するようになると、努力したから花が散るのを惜しむという心情が、花が美しいから散ることを惜しむという感性へと変化していったのである。
 
 日本での花見は、梅ではなく桜を観賞することで定着した。それは、花見という形式は支那から学んだのだが、感性については平安時代以前の実用的に占いとして使用していた頃の日本人の感性が受け継がれたからではないだろうか。

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