2017年11月19日(日曜日)
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「憂国忌」四十七年の歩みについて  玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

「憂国忌」四十七年の歩みについて
         玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 
昭和45年11月25日に起きた三島由紀夫先生と森田必勝烈士の憂国の諌死は当時の日本社会に大きな衝撃を与えました。時の政府とマスコミはこの事件を「天才作家の錯乱」とか「狂気の沙汰」などとあらゆる悪罵と雑言をぶつけて三島先生の檄文の趣旨や事件の本質を葬り去ろうと狂奔しました。
これに対して三島先生の文学を信奉し、その文化防衛の思想に共鳴していた多くの青年、学生が中心となって開催されたのが、事件後すぐの同年12月11日に行われた「三島由紀夫氏追悼の夕べ」でした。
 
当時大学生で民族派学生運動の日本学生同盟(日学同)の委員長をしていた私は、同志とともにわずか半月の間に都内の街頭や大学キャンパスに追悼集会を告知するポスターを貼って貼りまくりました。しかし当時大学キャンパスは依然として極左全共闘集団が跋扈しており、彼らとぶつかれば即ゲバルト戦が展開されたものです。インターネットで宣伝ができる今と全く状況が異なりました。

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