ロシア革命百周年に思う 玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

ロシア革命百周年に思う

             玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

1. ロシア革命とは何であったのか

 今年は1917年のロシア革命から丁度百周年を迎える。ロシア革命によって生まれたソ連邦も今から26年前の1991年に崩壊し去った。しかし中国をはじめいまだに共産党が権力を握っている国もある中、一体ロシア革命が目指したものが何であったのか、そしてこの100年間の歴史をどう総括するのかを考えてみたい。
 元来近代共産主義思想の創始者であるカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが想定したのは、資本主義が高度に発達した段階で生産力と生産関係(=生産手段の所有関係)の矛盾が爆発し、不可避的な階級闘争による革命を惹起するということであった。従ってマルクスとエンゲルスが予想したきたるべき共産主義革命が起こるのは、資本主義が高度に発達したイギリスやドイツなど西欧資本主義国であり、ロシアなど後進農業国では全くなかった。またロシア革命を指導したレーニンやトロツキーも、ロシア革命はあくまで西欧を中心とする世界革命の前哨戦に過ぎず、逆にロシア革命の成否はかかって西欧、とりわけドイツ革命の成功にあると考えていた。従ってロシア革命によって誕生したソ連邦はあくまで過渡的な存在であり、社会主義の前段階である労働者国家に過ぎないというものであった。このため1919年に設立されたコミンテルンも当初は世界革命のための組織であり、世界における共産主義運動の司令塔たるべき任務を与えられていた。しかしながら、レーニンの死後権力を握ったスターリンは一国社会主義を唱え、トロツキーを国外に放逐して、自らの独裁体制を打ち固めた。そこにおいては、プロレタリアート独裁とはすなわちプロレタリアートの前衛党(=共産党)による独裁であり、党書記局への権力集中であり、最終的にはスターリン書記長個人による独裁が確立されたのである。これに反対するもの、あるいはスターリンから反革命、人民の敵と見なされた者は情容赦なく粛清された。ソ連において実際に粛清、殺戮された人間の数は何百万ともいわれるが、その他穀物の強制収奪によって大量の餓死者も出ており、おそらく数千万単位の犠牲者が出ているであろう。これはその後も中国やカンボジアでも繰り返された悲劇である。又、上記コミンテルンも「全世界労働者の祖国たるソ連邦」を防衛するための組織に性格を変えられてきた。

※記事の続きは有料会員制サービスとなります。

会員の方でコンテンツが表示されない場合は会費のお支払いが完了していないか、有効期限をご確認ください。