2017年09月22日(金曜日)
ようこそ、ゲストさん。有料記事を見るにはログインが必要です。
 
 
ログイン情報を記憶

記者・ボランティアスタッフ募集中

揺るぎなき国体 第七回「天孫降臨時の神勅2」展転社編集長 荒岩宏奨

宝鏡奉斎の神勅

次に宝鏡奉斎の神勅(注1)を見てみよう。

《「吾(わ)が児(こ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床(ゆか)を同(おなじ)くし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし」》(『日本書紀』)

 天照大神(あまてらすおほみかみ)は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)にこの神勅をお述べあそばされた。御手(みて)にお持ちになられてゐた宝鏡を天忍穂耳尊にお渡しになられ、この宝鏡を天照大神自身だと思つて常に宝鏡を身近に置き、お祭りするやうにとおつしやられたのである。つまり、宝鏡を天照大神としてお祭りするやうにといふ「ことよさし」である。

 この宝鏡は三種の神器の一つであり、岩戸開きのときにつくられた。天照大神が天の岩戸にお籠りになられたとき、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が鏡をつくつたとされてゐる。そして、天照大神に岩戸からお出ましいただくために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊り、それを見た神々がどつと笑つた。すると、天照大神が岩戸から外を覗いた。そのときに、天照大神にこの鏡を見せて、岩戸が開いたところに天手力雄神(あめのたぢからをのみこと)が岩戸から天照大神を引つ張り出したのである。

 この宝鏡は天孫降臨のときに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とともに地上に降臨した。そして、崇神天皇の御代までは常に天皇のお傍に安置されてお祭りされてきた。ところが、崇神天皇の御代に疫病が流行つたために、畏れ多いことだといふことで宝鏡は宮中を出御(しゆつぎよ)あそばされることとなり、その後さまざまな地をめぐつて伊勢に鎮座(注2)あそばされることとなつた。この地が現在の伊勢の神宮である。なほ、その後の宮中では宝鏡の形代(かたしろ 注3)をお祭りするやうになつた。現在、宮中の賢所(かしこどころ)でお祭りされてゐる御鏡は、宝鏡の形代である。

 現在もなほ、天皇陛下は天孫降臨のときの天照大神の神勅通りに、神宮と賢所で宝鏡を奉斎あそばされ続けてゐる。

※記事の続きは有料会員制サービスとなります。

会員の方でコンテンツが表示されない場合は会費のお支払いが完了していないか、有効期限をご確認ください。