2017年10月23日(月曜日)
ようこそ、ゲストさん。有料記事を見るにはログインが必要です。
 
 
ログイン情報を記憶

システム復旧致しました。

西澤貞夫 つれづれ山河 第三十一回

「人の命は我にあり、天に在らず」人間は、生きている間に人と物事に出会うから人生との説きに、父母、祖父母またその祖父母から我は成っていて、すごい人数のピラミッドの上にいる。

明治生れ、大正生れ、昭和のひとけた生れの人は物の大切さ、大事さの度量が違う。水は、井戸から汲み上げ運び、水瓶に入れ、毎日の重労働のひとつであり、大事にしていたから、貯水ダムを造るとの案に「歯磨のときに水道を出しっ放をしなければダムは要らない」とのつぶやきから目が覚めた。曽祖父母は家の中の明りはロウソクの日々に電気敷け、はだか電球が点った時は「クモの巣だらけで驚いた」と。

祖父母は、囲炉裏のやわらかい炎は体の芯に写るともしびであり、灰を直す火箸(ひばし)から教わる文字や数字は指先と手から教えてくれた。おふくろは布団を干した夜、「太陽のにおい、太陽の温さ」と。また、辛いときには手を合わせよ、と優しい。おやじは茶碗を滑って割ったとき、「数が増えた」と良い方に取って心がたいらになる。今、蛇口を押すと水が出て、リモコンで電気やテレビが着き、ガスコンロもひねると瞬時に炎が着くが先人からすごいプレゼントである。

※記事の続きは有料会員制サービスとなります。

会員の方でコンテンツが表示されない場合は会費のお支払いが完了していないか、有効期限をご確認ください。