2017年10月19日(木曜日)
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西澤貞夫 つれづれ山河 第二回

インターネットの登場で変化する政治・経済・社会を「読む」から「見る」に情報感覚が変化し、ツイッターによって隠されているものが表に出てるが「知るべき権利」を報道するのはジャーナリストの根幹である。

福沢諭吉翁は人間は125歳まで生きられると述べているが今この便利なモノを利用せずにはいられない。映像の今、大のお大人が「ボク」とは滑稽であり情けない。「ボク」を使うのは学生までで、大人は「私・わたし」である。

時として「公人」が「私個人としては・・・」とメディアの前で言うが、公人は常に「公人」であり責任がある。外国人944万人の来日者は日本の文化・伝統に魅せられたといい、日本国民を問うと親切な人と真面目な心と返ってくる。

公共放送が定時ニュースで「スゲー」「マジッスカ」を流すが日本語ではない。

外国人に今のは何ですかと聞かれるが、辛い。

時節に米国の日本の野球選手を実況さながらに報じるが「スポーツコーナー」ですべきで、例えていうと青年が見知らぬ老人の荷物を手伝う姿など今日の「日本の美景」として流すと、今の「伊達直人」の日本人の心を開花させる。それでこそ公共放送である。

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