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シベリア抑留と摩刀石の戦いから国防を考える

12-02-20 21:06 配信

2月15日、兵庫県三田市で 「民族奴隷の悲劇・シベリア強制抑留」ソ連軍満州侵攻と壮絶、摩刀石の戦いについての講演会があった。 主催:立ち上がれ日本 三木圭恵氏


昭和20年8月9日未明、ロシア(ソ連)が不可侵条約を一方的に反故、戦線布告して国境に押し寄せてきた。掲げる旗は「人民解放・平和」だが、その軍のやることは暴行、略奪、強姦、強盗、殺人など、残虐の限りをつくすものだった。

この講演会の講師 荒木正則氏は当時の関東軍、北派遣軍、朝鮮軍より士官教育のために石頭予備仕官学校に入校していた3500名のうちの1人。教育は「将校は軍隊の禎幹なり」という指導教育、軍の第一線指揮官として対ソ号作戦の猛訓練を受ける。



国境を脱走する友軍を尻目に摩刀石で遊撃の最前線にたつ。

摩刀石の戦い、荒木連帯猪俣大隊850名の学徒兵は軍の後方陣地の構築、牡丹江8万人の邦人引き上げの時間稼ぎの任務を負った。


当時の 関東軍たった1週間の対ソ戦争は荒木氏の言うところでは、

当時の兵力 ロシア軍 170万 
飛行機 ロシア 7170 日本200
戦車  ロシア一 一般の戦車5270 当時の最新式T−34式戦車 7270 
日本戦車 200
大砲  ロシア 3万 日本1600

まるで話にならないほどの兵力の差があった。
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その中で国境の最前線の摩刀石の戦いについて荒木氏は振りかえる。学徒兵には武器はほとんどなく、手榴弾を胸にだき、戦車の下に肉弾突撃するしかなかった。訓練で戦車の下に飛び込む訓練はしていたのだが、ロシア軍は150台の戦車、マンドリン機関短銃での狙撃など戦車に到達する前に倒れる学徒兵も多かった。圧倒的な兵力差だった。

しかし、学徒兵はひるむことなく、敵戦車の銃眼を狙撃し、戦車によじ登り天蓋から手榴弾爆破、戦車をぶんどり反転敵戦車を数台破壊した。

これで850名中750名が戦死。屍は放置され、日夜、犬やオオカミが集まっていた。

どの学徒もカバンに書籍をつめいつかまた学習に励む日もくるからと大切にしていたような学生だった。

おかげで在留邦人が逃げる時間が稼げた。

この戦いには当時の国家は勇気をたたえ当時は感謝したという、しかし月日は流れ今は日本がアメリカと戦争したことすら知らない。9条信者や捕虜に関するジュネーブ条約などをかかげ、無抵抗なら戦争にならないという夢を信じる人々まででてきた。

この壮絶な戦いを讃え、国を守ること外国からの脅威に立ち向かった人たちへ感謝することすらなくなった。

国際条約や協定などは大国の都合でいとも簡単に反故にされる。そのいきた証言者がここにいると荒木氏はいう。



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圧倒的に兵力がちがうと勇気や技術があっても悲惨な戦闘になる。


手榴弾を押して、数秒後に爆発するのだが、戦車にたどり着く前にちりぢりに四肢が飛び散る姿や、手榴弾が爆発せず、戦車のキャタピラーの下に巻き込まれ踏みつぶされる様子。半分にちぎれた胴体が飛び散るのを目の当たりにしながら次々とたこつぼから走り出て戦車に突撃する20代前半の若い士官学生の白黒映像を見た。


その戦闘のおかげで満州から邦人が逃げるチャンスができた。強大なロシア軍がこの自爆攻撃にひるみ一線を退いて作戦を立て直す間が作れた。そんな1人1人の国を守ろうとした兵士たちのおかげで今も日本人がここに生きている。そのことを忘れずにいて欲しい。


戦闘が終わって武装解除した軍隊を奴隷的な使役に使うことは許されないはずだが、60万〜100万の関東軍や在留邦人がシベリアに抑留された。寒さと飢えと重労働で苦しみ若い青年の命が6万〜10万人その地で牛馬のように蹂躙されて死に絶えた。

昭和20年8月9日に一方的に満州に侵攻したロシア軍はポツダム宣言の軍人早期帰還を無視し、強制拘留した。

その裏に荒木氏は8月16日のトルーマンとスターリン会談の日本領土の中の北海道の半分を割譲する要求があったのではないかと言っている。

8月16日の北海道割譲要求の時にベリヤは日本軍捕虜のシベリア移送は行わないという命令をだす。つまり、北海道を半分移譲すれば、捕虜の安全は保障しようという話だったのではないかというのだ。

トルーマンは8月19日にその割譲を拒否、それをうけて、8月23日に関東軍捕虜60万人をシベリアに良そうせよという、「9898号」移送命令をだし、シベリア抑留が開始された。

シベリア抑留とは、「北海道北半分と引き替えにおこなわれた労働賠償の生け贄」でないかと荒木氏はいう。もし、そこでシベリア抑留がなければ今の日本の存在はなかったのではないかと。

このシベリア抑留への経緯もまだ明らかにされていない。

国家同士の条約や約束など、軍事力の前には簡単に反故にされるとういう生き証人が今も日本にはいる。大東亜戦争当時の日本は技術力も乏しく、経済力もまだまだだった。今、経済力も技術力もあり世界の覇権国家 米国と同盟国家でありながら、自ら軍事力を押さえる政策を行っているのはなぜだろう。

圧倒的な兵力の差は惨めな結果しかおこさない。

大東亜戦争での敗戦は惨めだった。あの戦争を振りかえるときに、なぜ、日本はあんな惨めな戦争をした反省から、二度と負けない強い国防力のある軍隊を作ろうと考えなかったのか?

現在中国軍は正規軍で156万とも言われる。対する自衛隊は25万人、長距離爆撃機やミサイルなど攻撃用の武器はもたない。海上自衛隊には護衛艦はいても戦艦も空母もいない。侵略にあえば、大東亜戦争以上に戦闘能力にかけた軍隊しかもたない。これでは国民を守りきれない。

シベリア抑留の体験者の荒木氏はシベリアに眠る戦友の遺骨収集活動を続けている。一回の遺骨収集で37体の遺体を収集した。どの遺体も20代前半の若い遺体で骨や歯がしっかりしていた。いまだに3万体以上の遺体がシベリアのどこかに眠っている。



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遺骨収集の追悼式の場で荒木氏は戦友にたいし、「さあ、帰ろう、祖国日本へ。歩けないのか、ならば肩につかまれ。背負い、抱いて帰る。」と語りかけていた。

硫黄島の遺骨収集もシベリアも、その日本を守るための壮絶な戦闘も教科書にのせ、肩率がないといけない大事な話だ。国をまもるために犠牲になった若者のことを忘れないようにその勇気を褒め讃え、悲しい最後を悼み共に涙する時間を日本人は忘れてはならない。

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1.ねっく 12-02-21 21:09:57 評価:★★★★★

ひとりでも多くの方に知ってほしいです。

まったくその通りだと思います。

「国をまもるために犠牲になった若者のことを忘れないようにその勇気を褒め讃え、悲しい最後を悼み共に涙する時間を日本人は忘れてはならない。」